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宮崎地方裁判所 平成元年(ワ)560号 判決

原告

見越一二

元永正紀

澤田豊

溝尻耕一

河野ナリ子

藤田修二

冨永忠夫

原告ら訴訟代理人弁護士

宮田尚典

被告

宮崎県

右代表者知事

松形祐堯

右指定代理人

池田淳

永田清文

被告

右代理者法務大臣

長尾立子

右被告両名指定代理人

堀憲治

竹原一郎

金谷弘美

宮里宏信

漆野正公

新宮真澄

佐々木勝朗

服部豊

黒木勝男

大野重直

森山義隆

村上昭夫

生駒静夫

事実及び理由

第三 当裁判所の判断

一  境界について

〔証拠略〕によれば、次のとおりの事実が認められる。

1  本件実測図について

(一)  本件実測図は縮尺六〇〇分の一の図面である。原告ら土地周辺(宮崎県野尻町)について、小林土木事務所が保管している本件実測図面〔証拠略〕上には、道路及び並松敷がそれぞれ区分されて表示されており、「五四八一番大字東麓字小立中(九ツ塚)並松敷地」という記載があり、1から25までの番号を記した上で、それぞれの面積が記載されている。

(二)  本件実測図と同形式の図面は都城土木事務所にも存在し、同図面〔証拠略〕にも、本件実測図と同様、並松敷の位置及びその範囲(面積)が詳細に記載されている。

(三)  本件係争地付近にかかる本件実測図については、小林土木事務所において保管されている。また、宮崎県都城市付近については、都城土木事務所が本件実測図と同様の実測図を保管している。土木出張所長は、「内務省所管国有財産取扱規程(大正一一年六月一九日内務省訓令第一号)」により「国有財産ノ管理ニ関スル事項」(同規程三条一号)、「公共用財産ノ使用又ハ収益ヲナサシムル事項」(同規程六条)等を処理する権限を有していた(同規程二条、三条)。

(四)  旧国有財産法(大正一〇年四月八日法律四三号)の施行前における官有地の売買等については、明治二三年に公布された「官有地取扱規則」(明治二三年一一月二五日勅令第二七六号)」に基づいていたところ、同規則二条には「官有地ニ関スル願書ノ指令契約ノ締結・・・ハ内務大臣地方長官ヲシテ之ヲ取扱ハシムヘシ」と規定されており、これを受けた「官有土地、水面及産物処分規程(明治三七年八月一日宮崎県令第四四号)」が定められている。同規程一条は、「内務省主管ニ係ル官有土地、水面ノ貸付、使用、売払・・・ヲ請ハントスル物ハ本規程ニ依リ願書二通ヲ作成シ之ニ実測図(三斜丈量図ニシテ四至接続地ノ字、地番、地目、官民有ノ区別等ヲ記スヘシ)ヲ添付シ地元町村役場ヲ経由シ知事ノ許可ヲ受クヘシ」と定め、同規程二三条は、「明治二三年一一月勅令第二七六号官有地取扱規則第一一条ニヨリ直接公用ニ供シタル官有土地、水面ヲ有料マタハ無料ニテ使用セントスル者ハ第五号書式ノ願書ニ使用方法ヲ添付スヘシ」としていた。

(五)  被告らは、本件実測図を作成した当時、他の並松敷等の国有地の所在及び面積を表す図面が存在しなかったため、並松敷等の国有値の使用を許可するに際しては、本件実測図を利用して、占有面積、使用料金等の算定を行っていたところ、右規則、規程に基づいて、宮崎県西諸県郡小林町大字水流迫の山ノ上矢吉は、小林町を経由して宮崎県知事に対し、同町大字水流迫字松原二三九番の二地先並松敷の使用願書を提出して、同土地の使用を許可された。また、山ノ上相談人山ノ上イネが宮崎県知事に対し、前記並松敷にかかる道路敷地占有願を提出した。その際、同書面には、実測図が添付されていた。

2  本件実測図と国土調査成果図等との整合性

(一)  本件実測図(縮尺六〇〇分の一)を縮尺五〇〇分の一に拡大し(図面の筆界を示す線が屈折する点の座標値を読み取り、この座標値に基づいて図書き機械で作成した図面〔証拠略〕と国土調査成果図(縮尺一〇〇〇分の一)を五〇〇分の一に拡大した図面〔証拠略〕とを本件道路北側の筆界線を基に重ね合わせると、筆界線のずれる点が二か所存在する。したがって、本件実測図は、右二点により三分割して作成されたものであると考えられるところ、右三分割した区間ごとに本件実測図国土調査成果図を照合する(照合の方法としては、乙第二七号証の2記載のA一一七点と甲第三七号証記載の道路北側線を合致させるとBの二八までがほぼ重なりあう。次に、乙第二七号証の1及び2のBからC点までの部分と甲第三七号証との照合については、Bの二八の点を基点として時計回りに回転させ、道路北側筆界線を合わせるとCの三五の点までがほぼ重なりあう。さらに、乙第二七号証の一のC点からD点までの部分と甲第三七号証との照合については、Cの三五の点を基点として、逆時計回りに回転させ、道路北側筆界線を合わせるとDの二点近くまでほぼ重なりあう。)と、多少の誤差はあるものの、両図面はほぼ一致する。

(二)  前記の山ノ上矢吉に対する官有土地使用許可に添付された実測図、本件実測図及び山ノ上イネが宮崎県知事に提出した道路敷地占有願に添付された図面は、本件実測図と同様に作成され保管されている実測図〔証拠略〕の該当箇所とそれぞれほぼ重なりあう。

3  本件実測図の信憑性

右1及び2において認定した本件実測図作成の根拠や性格及び本件実測図が国土調査成果図とほぼ合致することからすると、本件実測図の信憑性は高いものといわなければならない。

原告らは、本件実測図には、基点等の記載がなく、本件実測図によって、並松敷の範囲、位置等が特定できないこと等から本件実測図は信用できない旨主張する。しかし、前記認定したとおり、本件実測図には、字名、地番の表示があり、原告ら土地周辺における並松敷地の面積の表示があること、本件実測図は、前述したとおりの作業を行うことによって、国土調査成果図とほぼ一致すること(もっとも、本件実測図と国土調査成果図は完全には一致しないが、本件実測図作成当時の測量方法はさほど精度の高いものではなかったこと、本件実測図作成のための測量範囲が広かったこと、本件実測図は三枚の図面をつなぎ合わせたものであること等の事情からすると、やむを得ないものと考えられる。)などの事情に加え、前述のとおりの本件実測図の作成経緯、本件実測図の保管及び利用状況等を総合して勘案すると、本件実測図の信憑性は高いというべきであり、原告らの前記主張は採用できない。

また、原告らは、昭和四八年、被告らが野尻町において実施した国土調査による成果の認証によって、本件国有地と原告ら土地との境界が公に確定した旨主張する。しかし、地籍調査(毎筆の土地について、その所有者、地番及び地目の調査並びに境界及び地積に関する測量を行い、その結果を地図及び簿冊に作成することをいう。国土調査法二条五項)の結果作成された地籍図は行政庁の内部資料にとどまり、その記載及び内容は対外的に効力を有するものではないこと、成果に対する認証とは、右地籍調査の成果に対し、その成果が測量若しくは調査上の誤り又は国土調査法施行令六条に定める限度以上の誤差がないかどうかを審査するものであって(国土調査法一九条二項)、成果について一定の限度でその精度を担保するための精度的保障としての行政庁相互間の内部的行為にとどまり、土地の権利関係(所有権の範囲、土地の境界)には何ら影響を及ぼすものではないこと、さらに、本件国有地に関しては、本件道路間際まで原告らの家が建ち並んでおり、本件国有地部分の一部は右建物の敷地となっていたことから、当時の小林土木事務所管理係長で国土調査の境界立会いをしていた坂元辰純は、直ちに調査(境界の確定等)を開始することは困難であると考え、野尻町に対して、官民境界を明確にするための話し合いが必要であること等を申し入れるとともに、右話し合いが終了するまでは本件係争地部分の国土調査への立会いを留保していたことをも併せ考えると、国土調査の成果に対する認証があることから地籍図どおりの境界が決定されたということはできない。

4  本件境界付近の状況

(一)  本件道路は、明治時代には白川県人吉道として宮崎県内の主要道路の一つとして利用されていた。その後、大正九年四月一日県道宮崎人吉線と認定され、昭和二九年七月三一日県道宮崎小林線と名称変更され、昭和三八年四月一日二級国道水俣宮崎線として国道に昇格し、その後昭和四〇年三月二九日国道二六八号に名称が変更され現在に至っている。明治時代から現在まで宮崎県知事が、国道昇格前は自ら管理し、その後は国の委任を受けて維持管理している。

(二)  本件道路は、旧幕藩時代には、参勤交替に利用されていた肥後街道と称される国富町から綾、野尻、小林、飯野を経て熊本県下に至る街道の一部であった。肥後街道は、他の街道と同じく景観の美化、緑陰、防風、防音、防塵等の目的のために江戸時代に街道脇に一定の間隔をおいて列状に樹木が植栽され、原告らが所有する本件各土地付近では、松が並木として植栽されていた。しかしこれらの松もその後伐採や松喰虫の被害等によりなくなり、その敷地が存在するのみであった。本件道路の宮崎県小林市から同県野尻町追分(原告ら土地から西側の部分)の部分については、本来の道路部分と国有地(並松敷)部分とが一緒になって、原告ら土地周辺と比較して、本件道路が広くなっている。

(三)  昭和三八年ころ、原告らが所有している建物と本件道路南側の接する部分に路面排水用の側溝が設置された。他方、原告ら土地周辺における本件道路北側部分は、少なくとも明治期以降移動することはなかった。

(四)  原告溝尻が所有占有する本件土地四の西側に隣接する同字二四一九番二の土地(永迫トヨ子所有)内で樹齢四八年以上のクロマツかアカマツが発掘された(検証の結果)。また、原告溝尻が所有する右土地の東側に隣接する同字五四七七番一八の土地内においても、松の根が発掘された。

(五)  被告らが、本件実測図に基づいて並松敷地が存在すること及び本件国有地の位置等に関して説明したのに対し、原告ら以外の本件道路沿線住民は、これを了承し、本件道路拡張工事及び右工事に伴う用地買収等について同意している。

5  結論

以上のとおり、本件実測図は、多少の誤差はあるものの基本的には正確であるとみて差し支えないこと及び4で認定した本件境界付近の状況からするならば、原告ら土地と本件国有地との境界は、被告国が本件実測図に基づいて主張する主文掲示のとおり確定するのが相当である。

二  時効取得の成否について

1  〔証拠略〕によれば、次のとおりの事実を認めることができる。

(一)  原告見越は、昭和四四年二月八日、現地を見た上で、眞方千代子らから、本件土地一を買い受けて占有を開始した。その際、右眞方らの家は、本件道路ぎりぎりの位置まで建てられていた。

(二)  原告元永は、昭和一〇年四月二七日、母元永イサミを代理人として、本件土地二を買い受けて占有を開始した。

(三)  原告澤田は、昭和四一年一月ころ、本件土地三を同二四一二番三の土地とともに買い受けて占有を開始した。

(四)  溝尻多作は、昭和四〇年一月二一日、園田稔から合筆前の二四一九番九と五四七七番一九を買い受けて占有を開始し、昭和五〇年に右二筆を合筆して本件土地四とした。原告溝尻は、平成元年七月一日、右土地を多作から譲り受けた。

(五)  原告河野は、昭和四五年一二月二五日、永迫清から本件土地五を譲り受けて占有を開始した。また、原告河野は、昭和四五年八月四日、本件土地六を公売により取得し占有を開始した。

(六)  原告藤田は、昭和三三年七月二五日、永嶺貞行から本件土地七及びその隣接地を買い受けて占有を開始した。

(七)  原告富永は、昭和五二年四月一日、中神政宏から本件土地八を買い受けた。昭和二一年ころ、中神は長谷川秀次に対し、本件土地八を貸し渡し、以後長谷川及び永田カヨが賃借人として占有を継続していた。よって、少なくとも、昭和二一年一二月三一日以降、中神及び原告富永は本件土地八を占有してきたことになる。

2  前記のとおり、本件各係争地は国有地であるところ、前記一において認定した事実からすると、本件各係争地は本件道路と一体となって直接公共の用に供されている公共用財産であると認められる。そして、公共用財産については、公用廃止により公共用財産としての性質を失わない限り、取得時効の対象となり得ないが、公用廃止は、必ずしも行政主体の明示の意思表示を要するものではなく、黙示の意思表示でも足りると解されるところ、公共用財産について黙示的に公用が廃止されたものとして、取得時効が成立するためには、公共用財産が長年の間事実上公の目的に供されることなく放置され、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、その物のうえに他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されることなく、もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなったとの要件が必要である(最高裁昭和五一年一二月二四日第二小法廷判決・民集三〇巻一一号一一〇四頁、同昭和五二年四月二八日第一小法廷判決・裁判集民事一二〇号五四九頁参照)。そして、右要件に適合する客観的状況は、時効の基礎となる自主占有開始の時点までに存在することを要するものと解するのが相当である。

3  前記認定の事実並びに〔証拠略〕によれば、本件道路脇には、景観の美化、緑陰、防風等の目的のために江戸時代から一定の間隔をおいて列状に樹本が植栽され、本件係争地付近では、松が並木として植栽されていたところ、これらの松並木は、昭和二一、二二年ころまでに伐採等によりなくなったこと、昭和三三年ころ、本件道路の本件係争地付近において、道路拡幅工事が行われたが、その際、本件係争地部分は、道路敷とはならなかったこと、昭和三八年ころ、本件道路は舗装され、道路の両端部分には路面排水を目的とする側溝が設けられたこと、昭和四八年、本件実測図に基づいて野尻町の並松敷の国土調査が行われたこと、その際、当時の小林土木事務所管理係長で、国土調査の境界立会いをしていた坂元辰純は、本件係争地部分については、本件道路間際まで原告らの家が建ち並び本件係争地の一部は右建物の敷地となっていたことから、本件係争地部分について直ちに調査(官民地境界の確定等)を開始することは困難であると考え、野尻町に対して、官民境界を明確にするための話し合いが必要であること等を申し入れるとともに、右話し合いが終了するまでは本件係争地部分の国土調査への立会いを留保していたこと、本件道路の南側には本件本件係争地部分の東方(高岡町、宮崎市方面)にも、西方(小林市方面)にも並松敷が存在し、本件道路と一体となり道路として使用されてきたときろ、本件係争地の西方にある追分地点から西方については、並松敷部分がそのまま道路敷の一部として使用されており、そのため、本件係争地付近の道路幅は、並松敷部分が民有地に取り込まれている範囲分狭くなっていること、がそれぞれ認められる。

4  右に認定した事実によれば、本件係争地部分は、昭和三八年ころ以降、徐々に原告らによる占有が進み、道路としての使用はされなくなってきたということができる。しかしながら、道路として利用できなくなったのは、原告らが占有を始めたため事実上通行することができなくなったからであり、通行が可能であるのに客観的一般的に全く使用されなくなったわけではない、そして、原告らの占有により、本件道路の幅員は本件係争地の西側部分よりも狭くなっているのであるから、原告らの占有が継続しても公の目的が害されることがないとはいえないし、本件係争地部分を公共用財産として維持すべき理由がなくなったともいえない。したがって、本件係争地部分について黙示的に公用が廃止されたものとは認められない。よって、原告らの時効取得の主張は理由がない。

三  損害賠償請求について

前記一及び二で検討したように本件各係争地は国有地であり、原告らの所有地ではないのであって、被告らは、原告らに対して、本件実測図に基づいて境界及び国有地の位置等を主張した上で、原告らに対して本件係争地からの退去等を求めていたものであって、被告らの右主張は正当な権利行使であり違法とは認められず、他に原告らの主張を根拠付ける的確な証拠はない。よって、この点に関する原告らの主張は理由がない。

第四 結論

よって、原告ら土地と国有地との境界を主文第一項のとおり確定するとともに、原告らの所有権確認請求及び損害賠償請求についてはいずれも理由がないからいずれも棄却することとして、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤誠 裁判官 黒野功久 内藤裕之)

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